立証責任

究極の営業研修。それは本当の声を出させることである。

大勢の人に囲まれたときに、存在を証明する方法とはなにか?

初対面の人にであったときに、まやかしのようにいつわるあの定例的な所作は一体だれに教えられてはじめたものなのだろうか。

あなたは誰なのか?

身につけているものはあなたを証明しない。

あなたの知識や経験は周囲の人間の説得材料だが、納得条件ではない。

あなたのビジョンや理念はあなたを立証するかのように錯覚させるが、それはまやかしである。

あなたが今食べているカップラーメンの味わいがあなたを証明する。

あなたが今吸っている酸素はあなたのことをよく知っている。

大好きな消防車が、それを証明するのかもしれない。

しかし消防車はわたしではない。

わたしはいつからわたしの声が出せなくなったのであろうか。

いや、最初から出せていなかった可能性もある。

過度なパフォーマンスは、真の存在を歪ませる。

いらだちと葛藤のなかで、新たな自分を発見することをいまかいまかと待ち望んでいるのだ。

時空のフィルターは、わたしの声をろ過してくれる。

誰もが、誰かの声のものまねではなく、いまの自分をあらわす、何気ない瞬間を的確に射止めるそのひと呼吸をまた探している。