乗り心地の悪い舟

乗り心地の悪い舟だと思っていた。

ギシギシ音がするし、備えつけの望遠鏡はピントが合わない。

いつからこんなに合わなくなったのか、いつまでは合っていると感じていたのか、

もう随分前のような気がしている。

もしかして、はじめから乗り心地の悪さを感じていたのか?

最初はそんなことなかったはずだ。

いやいや本当にそうなのか?

舟を漕いでいるときに、大波が来たり、小波がきたり

波の強さに力んでいるうちに、どこかが故障したのかもしれない。

いやいや、まわりを颯爽と過ぎ去るクルーザーや、山のように大きな豪華客船に目が眩んでいるうちに、大切な部品を落としてしまったのかもしれない。

何故そうなってしまったかはわからないが、その舟はとても古臭く感じて、けれども哀愁を発してどこか寂しげで、ほうっておけず、手放せないのだ。

ある晴れた日の朝、波と風と太陽を感じながら、舟を漕いでいたら、イルカの群れが楽しそうに泳いでいるのが見えた。

イルカはなぜ泳いでいるんだろう?

そんなことを考えながらひたすらにオールを握りしめて波に揺れる。

ある曇った夜、オールを握りしめた手の豆を触りながら、ふと雲の合間に三日月が潜んでいることに気づく。

月は欠けたあと、必ず現れる。

月に照り返る光を見て、いつも太陽があるんだということに気づく。

ピントが合わないこの舟の望遠鏡は、もしかしたら最初からピントが合っていなかったのかもしれない。

いや、ピントを合わせる必要なんて、最初からなかったのかもしれない。

何か素晴らしいものを探して、何か楽しいものを探して、

欲しがるように望遠鏡でみた景色は、どこか遠くのような気がして、自分とは何も関係がないんじゃないかと、

どこか他人事に感じて、結局記憶の片隅に葬り去られるのかもしれない。

ギシギシ軋む床や、手に握ったオールは、代わり映えしないけれども、

波に揺られる

ゆれてゆれて、

なにを考えていたのか、忘れてしまったのかもしれない。

ただ一つ言えることは、その舟は、木目の隅々に至るまで、ひとつひとつの分子があたかも意思を持っているかのごとく、朝も夕も飽くなく食いつくすかのように海を味わっているのだ。