絶対安心領域

2017年の大晦日

とある名古屋の天然温泉は入湯規制手前くらいにとても混んでいた。

露天風呂もジェットバスも電気風呂もサウナも所狭しと人だらけななかで、ひとつだけガラガラで、誰も入っていない風呂があった。

 

そう、水風呂だ。

16.8度に保たれたその水になぜか惹かれてしまった。

そして気がついたら25分ほど、冷水に肩まで浸かっていたのだ。

水とのふれあいは最初は冷たいという感覚があったが、途中から知ったのは、どんなに水風呂が冷たくても、自分の皮膚を境に、身体の中は絶対に冷たくはならないという事実だった。

 

自分は生きているという当たり前の真実に気づいた。

その後、5度の露天風呂エリアで、露天風呂には入らずに5分くらい散歩した。

水と同じように、足の裏の石は冷たい。

吹き付ける風も冷たいが、自分の体は暖かかった。

 

身体の60%以上は水であり、さらに身体を組成する原子の99%以上は空洞だ。

肺は空洞だし胃は空洞だし腸も空洞だ。

だがしかし、外界とは全く違うルールで動いている境目が確実にある。

それは時空と完全に遮られた生命だ。

確かな実感が受精した瞬間から存在している。

 

そんなことを考えながら冷水に肩まで浸っていると、4歳くらいの少年がじっとこちらがわを見つめてきた。

寒さを克服し生きていることを再確認するというのはこの上ない達成感と自己満足感を感じる瞬間だ。

人間は絶対に侵入されることのない絶対安心領域を持っているのかもしれない。