偶然と無意識は習慣によってコントロールされる

タクシー運転手の技術には大きく差がある。

「〇〇までお願いします」と伝えた時にパッと理解してそこまでの地図を瞬時に脳で描いている人がいる。わからなければ適切な短い単語数でそれを確認する人もいれば、わからないまま突き進む人もいる。

アクセルやブレーキの踏み方が明らかに危なく、運転上のヒヤリハットにも気付かず盲点がたくさんあると思える運転手もいれば、

ウインカーやブレーキ、後方確認や歩行者とのアイコンタクトなど一つ一つの動きがテキパキキビキビとしていていかにも隙がない「デキる人」ということが乗った瞬間にわかる運転手もいる。

事実、タクシー運転手は同じ時間仕事をしていてもできる運転手と普通の運転手では年収が2倍〜5倍くらい差がつく仕事のようだ。

この差はなんなのか?

タクシー運転手は自由だ。どこを走ってよいというルールはないし、各人が自由にルートを決められる。全ての運転手が「デキる運転手」になりうる仕事のはずだ。

思うに、差は「習慣」なのではないか。

「多くの人を運ぶ」という結果を出すための適切な習慣により脳みそのシワが増えれば増えるほど、一挙手一投足にその動きは反映され、周囲の人がそれを無意識的に捉えるのかもしれない。

この人はできそうだなと思えるタクシー運転手は、特定の時間帯の統計的規則的な道路状況や事故・渋滞などの偶発的事象までを加味した目的地までの最短ルートを瞬時に割り出し、車線変更や迂回ルートを適切に用いながら最短時間で目的地に到着し、迅速にお客さんを下ろし、そしてお客さんが降りた直後に新しいお客さんを乗せて走っていく。

洗練された運転手のタクシーは、それとわかる表示はされてはいないが、お客さんはそれに気づき、必ずすぐつかまえる。

駅前のタクシー乗り場でずっと順番を待っているタクシーがある一方で、無造作に走りながらも客を全く切らさず走り続けるタクシーもある。

違いは運転手の言葉遣いや眼や体の動き、危機認識などの習慣にありそうだ。

人は自己研鑽している人を発見し、そのような人と付き合いたいという無意識下の願望があるのかもしれない。

だとすると非常に重要なことは、誰もみていないところで、誰からもみられていない時にどんな鍛錬の習慣を生活に組み込むのか?ということなのかもしれない。

写真の水平ラインがほんの1度ずれると、全然違う出来栄えの写真に見えるのと同じように、

無駄にも思える試行錯誤をどれだけ重ねられるか?によって、偶然にも見える必然的な結果を作ることができる。

外側を変えるために外側だけにアプローチしてもうまくはいかない。問題は外側ではなく内側にある。内面が変わると外面が変わる。

結果のコントロールは思った以上に定性的で偶然的で、計り知れないものなのかもしれない。