おはようの達人

ものごとは何度もこなしていれば上手になるとも限らない。

果たして自分はおはようの達人になれているのだろうか?

1日6回くらい「おはよう」と言うとして、365日で約2000回。これまで30年で6万回以上はおはようと言っているはずだ。

 

だがしかし、一向におはようの達人になっているという実感はない。

 

そもそも、おはようとは一体何なのか?

 

おはよう
Good morning
早安
Bonjour
Guten Morgen
Buenos Dias
Buongiorno
Bom dia
Goede morgen
Gunaydin
God morogon
καλιμερα σασ
안녕하세요
नमस्ते

地球上のさまざまな場所で、さまざまな文化でおはようが出現する。

おはようという行為は何のために行われているのだろうか。

 

最もうまく言えた「おはよう」はいつだっただろう。

小さい頃はお日様におはよう、パトカーにおはよう、パパママにおはよう、消防車におはよう、救急車におはよう。

まさにおはようを使いこなしていた気がする。

成長するにつれて、鍛えたはずのおはようの力がどんどん薄れている気がする。

 

「おはよう」のために動かす関節や筋肉はどんどん動きがぎこちなくなっている。

 

まるでHow are you?といわれた日本人が反応に困ってしまい、How are youが宙に浮いてしまうかのように、

いつしか相手の反応を伺うように、小さくぼそっとつぶやくようになってしまったおはようは、

いったい誰がなんのために言ったのかも分からず、行き先を失い漂い続ける。

 

これまで6万回以上発したこの「おはよう」

何度発しても極めることができないこの「おはよう」

 

ただ単に元気に大声で言えば良いというものでもない。

おはようは発するだけでなく、受け取る行為でもある。

独りよがりのおはようは美しくないだろう。

 

清々しくまっすぐに響き渡り、まるで自分と相手と世界をつなげるかのような、

そして微かな余韻と美しさを残して華々しく散っていく。

 

そんなおはようのプロフェッショナルに、私はなりたい。