蝶々はなぜ飛ぶのか?

冬の透き通った風が体の中を吹きぬけると気持ちいい。

風は吹き抜けるために存在している。

 

マグロは泳ぎ続けることに特化して生きている。

24時間泳ぎ続けるために、あえて泳ぎを止めると死ぬという機能を携えた。回遊魚の中でもマグロはえらが自分で動かせないため、泳ぎを止めると呼吸ができなくなってしまうそうだ。

 

人は手先を使い、ものを生み出すために4足で歩行することをやめた。集団で生活し、より豊かにより安全に暮らすために狩猟をやめた個体もいるし、農業をやめた個体もいる。

 

生きるものはすべて、それぞれが、おのおのの機能美を目指している。

 

鉄は人を切ることに特化した。

より鋭く、よりしなやかに、より洗練された鉄が好まれた。鉄は鋼となり、刀となった。

それは、たくさんの人を切るための機能美だが、機能に特化し、いらないものを捨てたその姿は神々しくもある。

 

すずめは飛ぶために脚力を捨て、小さな体でも大きく響く声で歌える体になった。

 

月はただただ地球の周りを、太陽の周りを、そしてあらゆる星との関係性の中で何億年も回り続けるためだけの機能を携えた。

 

地球は何億年もかけて、あらゆる生き物が繁殖する機能に辿り着いた。

 

機能美は人の心をくすぐる。

その佇まいは周囲の環境と共存しつつも、独立し際立っている。何を言わずとも、その存在感はインスピレーションを与える。

見るも明らかな、生活美学とも言える、ただ一つのアイデンティティは奥底にもあり、表面にもある。

 

人は自分自身のアイデンティティを探し、ありとあらゆる行動をとる。

いろいろな人に、いろいろなことを言う。

実はただ単純に、この胸の高鳴りを探しているだけなのだろうか。

 

自然はいつも教えている。

生き物はつねに美しい。

生存競争のように見える行為は戦いではなく、それぞれの機能美を探すための共同作業なのかもしれない。

生活に眠るただ一つのデザインを探すためのヒントは、偶然と言う形でいつもひょっこり顔を出している。

 

20年前になんとなく描いていた未来といまが違っているのだとしても、オブラートに包まれた真の未来は確実に膨れ上がり、いまにも弾けようとしている。

その手触りはどこか懐かしく、しかし新しいものだ。それはどこか遠くの誰かのかすかな呼び声のようであり、鏡に映る叫び声かもしれない。

長い間握りしめていた未来はもはや制御を失い、その姿をさらけ出すのだ。