5日前に弓なりに曲がっていた三日月は、毎日毎日、せっせとふくらみ、
今日の夜の月はあと一歩で満月というところだ。
毎日毎日、お月様は一生懸命にふくらみ、ぼんやりと輝いている。
今夜の月はうっすらと雲のベールに包まれ、かがり火のように揺らめいている。
ものすごく遠くにあるのか、はたまた近くにあるのかわからない。いくつかに重なってぼやけているようにも見える。
このまま毎日大きくなると、そのうち饅頭のようにぶくぶく太っていくのだろうか?
いやきっと、そんなことはない。満月になったあとはまた、徐々に三日月に戻っていくのだろう。
なぜ月はいつも大きくなったり小さくなったり、時にはビルの谷間でかくれんぼをしたり、いつも粛々と光っているのだろうか。
生まれた意味は、今、動く意味は、動いているその人自身がまったく気づかないほど、規則性に満ち溢れ、
そして必ず大きな力に揺り動かされるのだ。
つかのまの抵抗でその力をコントロールできた気分になるのは簡単だ。
生物は単体で存在することができず、時代は一人によって作られることはない。
それはまるで大きな波のようであるが、さざなみのように捉えがたい。
その波に乗るのか?それとも波に飲まれおぼれてしまうのだろうか?